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あのころ、うちのテレビは白黒だった

平野恵理子さんの本です。

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副題に「昭和の時代のふつうの暮らし」とあるように、恵理子さんの小さい頃のおもちゃや家の中のもの、食べ物などがイラストとともに綴られています。

平野恵理子さんはイラストレーターであり、エッセイストでもあります。

1961年生まれということですから、ワタシよりはちょっとお若いのだけれど、私が読んでも懐かしいものばかり。

お正月の羽子板やビー玉、おはじき。さすがにシャンプーハットは使いませんでしたが(もう大きくなっていたかも)

金属製のトタン湯たんぽは、ウチでは母は直にガス火にかけて沸かしてました!

当時の木造家屋はアルミサッシなんかまだなくて、暖房のない部屋では息が白く見えるほど。

重たい綿の布団を頭までかぶり、ネルの袋に入れた湯たんぽは必須でした。

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ウチにもあった富山の置き薬。薬の箱は引き出しになっていて赤い色でした。

薬屋さんが来ると風船をもらえるのが嬉しかった。

当時の子供たちの膝は赤チンで真っ赤だったなぁ。

そうそう、お針箱もこんなふうにお弁当箱のようだったわ。

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家を建て替えるまでは和式トイレでした。もちろん汲み取り式。

チリ紙も灰色の再生紙(という言い方は昔はしなかったけどね)、たまに新聞紙を切っておいてあるところもあった。

小学校は水洗トイレだけど、洋式トイレが今のように普及するのはだいぶ後のこと。

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「衣桁(いこう)」ってご存知ですか?

二つ折りになっていて、部屋の角の壁に立てかけるようにして使うものです。

小学校の修学式や卒業式の写真を見ると、ほとんどの母親は黒の絵羽織を着ていて、当時は普段でも着物をきている人が多かった。(ウチの母親もそう、。夏だけあっぱっぱを着てました)

だからウチにも衣桁はあって、脱いだ着物や帯をかけていたものです。

衣桁はパタンと折りたたむと平面になるので省スペースなんですよ

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私が一番長く住んでいたのは高田馬場。

近くに神田川が流れていて、川沿いには染物屋さんが多かった。

川で反物をさらしているのを見たことがあります。

だから着物関係の仕事の人が多く住んでいたようです。

隣家は染物屋さんだったか、庭に伸子(しんし)張りをたくさん渡していたのを覚えています。

母が白生地を買ってきて描いてもらったこともありました。

和裁が得意だった母は洗い張りもよくしていたから、洗い張り用の板はずっと実家にありました。

最後までとっておいたけど、結局は捨ててしまった。ちょっと惜しい。

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高田馬場の家には小さな庭もあって、洗濯物はまさにこの↓絵のように干していました。

↑の絵の一番下にあるような、先が二股になった棒を使って上の段に上げていました。

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この紙の着せ替え人形も懐かしい。

こんなものがあったことさえ忘れていました。

肩についた白い部分を折り曲げて、ひっかけて着せ替えるんですよね。

まだバービー人形もリカちゃんもない時代です。

雑誌の付録にもあったかもしれない。

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旅といえば駅弁はつきもの。

短い停車時間に列車の窓から必死でお弁当を買うのです。

お茶もこんなビニールだったわ。

ミカンはネットに入っていた。冷凍ミカンは憧れでした。

崎陽軒の焼売弁当に入っている「ひょうちゃん」、今も我が家の台所の引き出しに2~3個入っています。

捨てられないの。

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そうそう、家に初めてテレビがきたのは小学校に入った年。

みんなで狭い部屋に集まってみたなぁ。

テレビのアンテナをあっちでもない、こっちでもないと良く映る方向を探して父親が動かしたっけ。

昭和もまだ戦後と言える時代のあれやこれや、思い出しました。

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  • Posted by ちーず
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